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東京高等裁判所 昭和40年(ネ)90号 判決

控訴人 旧姓前川こと菊地ミツ子

被控訴人 旧姓前川こと北見美治

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の本訴請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠〈省略〉………のほか、すべて原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

一、真正に成立したものと認める甲第一号証(戸籍謄本)によると、昭和三七年一月二六日、神戸市生田区長に対し、被控訴人と控訴人との婚姻の届出がなされ、同日受理されている事実が認められる。

被控訴人は右婚姻届は、控訴人が被控訴人の意思に反し無断でなしたものであるから右届出による婚姻は無効であると主張するので判断する。

(一)  いずれも真正に成立したものと認める乙第一ないし第三号証(いずれも戸籍謄本)および甲第二号証(婚姻届)の存在、原審証人前川フミ(後に措信しない部分を除く)同酒井昇、同衣笠輝雄、当審証人木野井清の各証言、原審および当審における被控訴人ならびに控訴人各本人の供述(いずれも後に措信しない部分を除く)と弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  被控訴人は昭和三三年春明治大学商学部四年中退後郷里の新潟市に帰り、両親が同市内東堀前通六番町で経営する飲食店「越路会館」で家業の手伝をしているうち、同年四月頃同店に傭われ、ウエイトレスとして働いていた控訴人と知り合い相愛の仲となり、同年一〇月頃には肉体関係を結ぶに至つた。

控訴人は翌三四年八月頃右越路会館をやめ、被控訴人の世話で同市内東堀前通一〇番町南部久蔵方の一室を借り受けて起居し、喫茶店「寿苑」の店員として働くようになつたが、この間も被控訴人は毎日のように控訴人のところに通い、深い交際を続けていた。

しかしながら被控訴人の両親は日頃から控訴人に好感を寄せていなかつたし、又被控訴人が控訴人と交際することにも反対の意向を示していたので、いつそ他郷にでて結婚し、夫婦共稼ぎをしようと相談し、昭和三五年五月八日頃被控訴人の両親には無断で相伴つて神戸市に出奔し、同市生田区楠町一丁目二番地の三衣笠輝雄方の一室を借り受けて同棲し、被控訴人は食料品卸商「神商」に、控訴人は洋服店「ときや」や洋傘店酒井昇方にそれぞれ店員として勤め同棲生活を営んでいた。このような両名の生活はその後約一年半の間さしたる波瀾もなく続けられた。

被控訴人と控訴人は新潟を発つ当時から神戸で婚姻の届出をするよう約していた。そうして昭和三六年一〇月頃には両名で前記衣笠輝雄に婚姻の届出について証人となることを依頼し、またその依頼のため酒井昇方を訪れたこともあり、さらに同年一二月頃被控訴人は控訴人が貰つて来た婚姻届用紙の届出人欄に自己の印鑑を押捺してこれを控訴人に預けておいた。

(2)  昭和三六年一二月末頃被控訴人は祖母危篤の報せを受けたので翌三七年一月二日、控訴人には同月六日頃には帰る旨を言い残して帰郷したが、この機会に被控訴人は両親より再三控訴人との婚姻を諦めるよう説得された結果、被控訴人はどうやらその気になつたものゝ如く、右控訴人に約していた一月六日がすぎても新潟に滞在していた。しかし控訴人の気の強い性格のためもあつて、被控訴人は直接控訴人に別れ話を持ち出したことはなく、同年一月中旬控訴人がたまたま新潟に戻つてきたときには、被控訴人は駅に出迎えた上、表面上は、従前と変らない態度で控訴人に接していた。

一方、被控訴人は、かねて親しくしていた訴外木野井医師に控訴人と別れたい意思を伝えてくれるよう依頼し、同医師は控訴人と面談はしたものの、きまずい思いで別れるようなことはさせたくないとの配慮から、それとなく被控訴人との離別を勧告しただけで、はつきり別れて欲しいとは云わなかつた。

(3)  かくて控訴人は三、四日新潟に滞在した後単身神戸に帰つたが、同年一月下旬前記届出人欄に被控訴人の押印のある婚姻届用紙を用い、その夫婦の称すべき氏欄に夫の氏、新本籍欄に神戸市生田区楠町一丁目二番地の二と記載したほかその他所要の事項を記入し、その届出人欄には被控訴人の氏名を代署するとともに自己の署名押印をなし、証人欄には前記衣笠輝雄および酒井昇に依頼してその署名押印(但し、衣笠は押印のみでその署名は控訴人が代書した)を得た上被控訴人との婚姻届書(甲第二号証)を作成し、同月二六日これを神戸市生田区長に提出して婚姻の届出をなし、即日同届出は受理された。

原審証人前川フミ、当審証人衣笠輝雄の各証言、原審および当審における被控訴人ならびに控訴人本人の各供述中以上の認定に反する部分はたやすく措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  おもうに婚姻をなすべき合意が一たん当事者間になされた以上、その後一方の勝手な心変りにより届出の際婚姻意思の合致を欠くにいたつたというだけで、右届出による婚姻を無効ということはできないのであつて、婚姻意思の撤回は、これを許すべきものとしても、相手方又は戸籍事務を担当する係員に対する明白な翻意の表示がなされなければ、婚姻意思の撤回があつたとは云えないと解すべきである。(最高裁昭和三四年八月七日判決、民集一三巻一〇号一、二五一頁参照)。本件において、前記認定の事実関係によれば、被控訴人と控訴人との間に婚姻をなすべき合意がなされたこと、すなわち婚姻意思の合致があつたことは明らかであり、その後被控訴人は翻意し、控訴人と婚姻をする意思を欠くにいたつたものの如くであるが、被控訴人は右婚姻意思の撤回を戸籍係員に対してはもちろん控訴人に対しても、直接表示したことはなく、被控訴人の依頼をうけた木野井医師も、控訴人に対しはつきり別れてくれとは云わなかつたのであるから、結局被控訴人の婚姻意思の撤回は有効になされたものということはできないといわざるをえない。

二、そうすると、控訴人がした本件婚姻の届出は、被控訴人と控訴人との婚姻意思に合致して、被控訴人の届出の委託に基づいてなされたものと認められるから、たとえ婚姻届書の被控訴人名義の部分が控訴人の代署により作成されたものであつても、これが戸籍事務を担当する係員に受理された以上その効力は妨げられず、してみれば本件婚姻は有効に成立したものといわねばならない。

三、したがつて本件婚姻の無効確認を求める被控訴人の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

よつて右と反対の原判決中本訴請求に関する部分は失当であるから、民訴法三八六条に従いこれを取り消して同請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三淵乾太郎 伊藤顕信 土井俊文)

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